1. はじめに:実際に起きた医療事故
2026年3月、北海道の千歳市民病院で、非常に痛ましい薬剤の誤投与事故が報告されました。
入院していた90代の男性に対し、痛み止めとして解熱鎮痛薬のアセリオを投与する予定でしたが、誤って強心薬のドパミンが投与されてしまいました。
その後、患者さんの心拍数が急激に上昇し、残念ながら死亡が確認されました。
この病院では、以下の対策が行われていました。
- ダブルチェック(二人での確認)を行っていた
- 薬剤ラベルの色はそもそも違っていた
それにも関わらず、なぜ事故は防げなかったのでしょうか?
この事故は、医療の現場において「個人の注意」だけでは限界があること、そして「システムの重要性」を私たちに突きつけています。
2. 与薬とは:チームで守る安全のバトン
**与薬(よやく)**とは、医師の指示(処方箋)に基づいて、患者さんに薬を投与する一連の医療行為のことです。
主に看護師さんが実施することが多いですが、薬剤師が調剤し、医師が指示を出すというチーム医療の中で、全員が責任を持って安全管理を行っています。
与薬は単に「薬を渡す」だけではありません。
このすべてが揃って、初めて「安全な与薬」と言えます。
3. 医療安全の基本:5R(ファイブアール)から7Rへ
誤投薬を防ぐための世界共通のルールとして5R(ファイブアール)があります。最近ではさらに項目を増やした6Rや7Rという考え方が主流になっています。
| 項目 | 内容 | 新人薬剤師へのアドバイス |
|---|---|---|
| Right Patient | 正しい患者 | 氏名だけでなく、生年月日やIDでも確認しましょう。 |
| Right Drug | 正しい薬 | 似た名前の薬(LASA薬)に要注意です。 |
| Right Dose | 正しい用量 | 単位(mgとmLなど)の間違いは致命的です。 |
| Right Route | 正しい投与経路 | 飲む薬か、塗る薬か、注射か。間違えると危険です。 |
| Right Time | 正しい投与時間 | 食前・食後だけでなく、「〇時間あける」ルールも重要。 |
| Right Documentation | 正しい記録 | 「書くまでが仕事」です。二重投与を防ぐ砦になります。 |
| Right Reason | 正しい目的 | **「なぜこの薬が出ているのか?」**を考える力です。 |
なぜ「目的(Right Reason)」が大切なのか?
今回の事故を例に考えてみましょう。
もし現場で、**「この患者さんは痛みを訴えているのに、なぜ心臓を強く動かす『ドパミン』が準備されているんだろう?」**という疑問を誰か一人が持てれば、事故は防げたかもしれません。
「指示通りに動く」だけでなく、「薬の目的を理解して動く」。これが新人薬剤師の皆さんに最も意識してほしいポイントです。
4. なぜダブルチェックがあっても事故は起きるのか?
人間は必ずミスをする生き物です。これをヒューマンエラーといいます。
- 思い込み(これはアセリオだ、と信じ込んでしまう)
- 疲労・忙しさ(ナースコールが鳴り止まない、業務が重なっている)
- 環境(ラベルが似ている、置き場所が近い)
医療安全の世界では、**「ミスをした人を責めるのではなく、ミスが起きる仕組み(システム)を直す」**という考え方が基本です。
スイスチーズモデル:事故は「穴」が重なったときに起きる
心理学者のジェームズ・リーズンが提唱したスイスチーズモデルは、医療安全を理解する上で欠かせない理論です。
スイスチーズ(穴が空いたチーズ)を安全対策の壁だと想像してください。
1枚の壁には穴(ミスの可能性)がありますが、通常は2枚目、3枚目の壁がその穴を塞いでくれます。
しかし、運悪くすべての壁の穴が一直線に並んでしまったとき、事故が発生してしまいます。
【スイスチーズモデルのイメージ】
今回の事故でも、
- 準備の段階での取り違え
- ダブルチェック時の思い込み
- 投与直前の多忙による確認不足 といった複数の「穴」が重なってしまったと考えられます。
5. 薬剤師ができる「仕組み化」:個人の注意に頼らない対策
「気をつけます!」という精神論だけでは、事故は減りません。薬剤師として、以下のような**「システムによる安全(物理的・視覚的な仕組み)」**を現場に導入・定着させることが重要です。
6. まとめ:仕組みで患者さんの命を守る
医療安全の基本は、「人は間違う」という前提に立つことです。
- 5R・7R を習慣にし、特に薬の「目的」を意識する。
- 自分のミスだけでなく、 システムの弱点(チーズの穴) に目を向ける。
- 「おかしい」 と感じた自分の感覚を信じて、声を上げる。
新人薬剤師の皆さんは、最初は覚えることが多くて大変かもしれません。
しかし、皆さんが日々行っているダブルチェックや監査、そして患者さんへの問いかけの一つひとつが、スイスチーズの重なりとなって、誰かの大切な命を守っているのです。
免責事項
- 本記事は医療安全の啓発を目的としたものであり、特定の医療機関や個人を批判するものではありません。
- 実際の業務にあたっては、各施設の医療安全マニュアルを必ず遵守してください。